今、なぜ、東京大空襲裁判?         1月5日分
年明け早々に東京大空襲裁判関連の方々とお会いしました。1945年3月の東京大空襲。今から63年前のことです。いま、どうしてこの裁判なのでしょうか? 何を求めた裁判なのでしょうか。私自身は東京大空襲のことはことあるごとに知る機会があったので少しは知っていました。早乙女勝元氏たちが、江東区にその資料館を作り、貴重な記録や資料などをたくさん残していらっしゃる。見学に行ったこともあります。しかし、正直、裁判のことはあまり詳しく知りませんでした。
その集まりは、新年会で、原告団の代表の方と弁護団の集まりでした。原告団の方の中には、子どもの時に東京大空襲によって家族全員が死亡し、親戚を転々とし、そこで差別や屈辱感を受け、逃げて自ら自立の道に踏み出した人もいれば、それを乗り越えた人・・・。語りつくせないような人生を送ってこられたお話をお聞きした。戦争がなかったら・・・。戦争があったために辛く寂しい思いをし、人生が大きく変わってしまった。戦争だから仕方ないと片付けられない現実がある。胸がつまるお話でした。
気軽に参加させていただいたのですが、途中から議論が白熱してきました。非常に重要なテーマについて話が煮詰まってきたようなのです。私は、その論旨がいまひとつよくわからず、発言しない方がいいかなとも思ったのですが、一般市民(あまりよくわからない)の立場で、素直に質問しようと思い、手を挙げました。
Q:よくわからない市民の立場で質問です。まず、この裁判は誰が誰に対して起こした裁判ですか。
A:『東京大空襲裁判』。原告は、星野弘氏ほか111名、被告は『国』。
Q:裁判の目的は? 何を求めているんですか?
A:裁判は、民間人被害者に対して何等の援助をせず、切り捨て放置した国の責任を全ての東京空襲被害者を代表して問うものです。
裁判の目的は,①犠牲者の凄惨な体験を語り,前線と銃後,兵と民の差はなく日本の国土が戦場であったことを明らかにする。②東京空襲が国際法違反の無差別じゅうたん爆撃であったことを裁判所に認めさせ戦争を開始した政府の責任を追及する。③父母兄弟・身内を亡くした人,障害者となった人,孤児になった人,家・財産を失った人,などの戦中戦後の筆舌につくせない辛酸な生き様を明らかにし,日本国憲法にもとづき,国に対し,民間人犠牲者への差別をあらためさせ法の下での平等を実現するとともに,犠牲者への追悼,謝罪及び賠償を行なわせることです。
裁判では、「請求の趣旨」として、一人1000万円の損害賠償と謝罪文を求めています。
原告が求めている謝罪文は次のとおりです。

謝  罪  文
200*年**月**日
 東京都墨田区押上3-52-9
 星野 弘    殿
 (以下,別紙原告目録記載の原告111名を連記 略)
内閣総理大臣   ○○○○
日本国は,日中戦争を開始した責任があり,世界で初めて都市爆撃と焼夷弾を組み合わせた国際法違反の無差別都市絨毯爆撃の手法を開発し,1938年12月から1943年までの間に中国・重慶爆撃に代表される爆撃を行い,中国の多数の人々を殺傷するなどの多大な損害を与えた。この重慶爆撃はアメリカ軍による東京大空襲の実行に重大な影響を与えた。
日本国は,アメリカ合衆国との戦争を開始した責任があり,戦争を早期に終結して,国民の犠牲を回避すべき義務があったにもかかわらず,これを怠り,アメリカ軍による人道と国際法に違反する東京大空襲をはじめ,日本全土に対する無差別爆撃を許す結果となった。
被告国は,上記の歴史的経過と事実を踏まえて,以下のとおり深く謝罪をする。
(1) 被告国は,旧軍人・軍属には国家補償をしてきたが,原告ら民間人被害者には何らの援護・補償をなさず,放置してきたことを深く謝罪する。
(2) 被告国はこれまで東京空襲の死傷者や行方不明者の実態調査,犠牲者の氏名を記録せず,遺体の確認と埋葬も行わず,追悼施設も刻銘碑もつくらなかったことを深く謝罪する。
(3) 被告国は,謝罪の証として,民間人戦争被害者補償のための立法措置,空襲による死亡者の追跡調査,民間人犠牲者を悼み,後世に空襲の実相を知らせるための国立の追悼施設の建設を約束し実行する。

Q:一般市民として思うのは、何で今ごろ? 戦争によって被害を受けた人の保証はさまざまにされているではないですか。私も祖母の遺族恩給があったおかげで大きくなれた面がある。(叔父2人が戦死している)東京大空襲はどうなっているんですか? 
A:あの戦争の戦没者は、大まかに言って、日本で310万人。そのうち230万人は軍人・軍属関連。この関係者は公務員というかそれに近い立場なので、遺族は補償されている。恩給。それに、原爆による戦没者は特別な扱いで補償されている。約30万人。沖縄住民10万人も補償されている。内地での民間人の被害者に対して何の補償されていない。私たちは東京大空襲という東京下町が一面の火の海になって、死亡した住民は推定で10万人、負傷者は約40万人、焼失家屋は約26万8000戸、被災者は100万人にのぼる。原告たちは空襲そのものによる被害と、家族を奪われて戦争孤児になり悲惨な思いをし、今でもそれを引きずっています。東京空襲の被害は、空襲当日の被害にとどまらず、戦後長く、そして現在まで、様々な形で被害が続いているのです。
Q:それはどのくらいの額になると予測しているのですか。
A:軍人軍属関連だけで1兆円使っているんです。同じ戦争被害者です。死者の比率(230万人対10万人)から考えて、必要な金額は少ないはずです。
Q:戦争責任については、国は他の裁判も含めて認めた経緯があるんですか?
A:ないんです。この裁判のもっとも大事なことは、国に戦争を起こした責任を認めさせ、謝罪させること。そしてこれから戦争を起こすようなことがないような動きを作ること。この大儀を通したい。
Q:みなさんの議論を聞いていると、原告団側の方向性について大きく2つの議論がされているように見えますが・・・。一つは、「戦争による被害」の意味。戦争中の被害と戦争後の被害の重きの置き方。二つ目には、損害賠償に重きをおくか、それとも戦争責任について追求するか。どれも絡み合っているんだと思いますが、微妙に意見が違うんでしょうか?
A:違うわけではないが、最終的な書面作りの段階で力を結集している最中。被災の補償と戦争責任を認めさせること、どちらも大事で、今の時点でそのことをやる意味が大いにあるのです。

『残された戦争被害者補償問題ー東京大空襲』
 第2次世界大戦関連の裁判がどれくらいあるのか私はわかりません。しかし、私がわかったことは、戦争によって被害を受けていまでもそれを引きづって生きている人で、補償されていない群があるということ。それが東京大空襲の被災者。それは、だれでも、『何とかしなければならない』と納得するのではないでしょうか。その方々もそう若くはない年齢。『残された戦争被害者補償問題―東京大空襲』。何とか早く!

私自身は1956年(昭和31年)生まれだから、直接的な戦争の被害はありません。しかし、祖母・母という肉親が大きな被害を受けています。また、私は看護師。戦争と看護師は切っても切れない縁。その話は、涙や怒りや言葉で表現できない感情で私たちに伝えられています。
日赤従軍看護婦、満州開拓団員、残留孤児、学童疎開船対馬丸犠牲者など民間人の補償など、戦争というのは、限りなく人々の命も健康も家族・親族も、そして心も理性もボロボロにしてしまう。何をどこまで国が補償できるのか私はよくわからないが、勇気を出して声を上げた人々に、きちんと補償することは当たり前なのではないだろうか。国も財政が困窮しようがそれはそれで仕方ないのではないだろうか。そこからの出発。
 『東京大空襲裁判』関連の方々は、熱き人々。大儀を大事にする貴重な存在。目先の利益を追いガチな中で正当に議論し闘う。正月からこんな大事な議論の場に存在させていただいてありがたかったです。身が引き締まる年明けです。(正確にご指導くださった弁護団の黒岩先生、ありがとうございました)

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2008.01.06 Sun l 日々の出来事 l top ▲