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2014、ありがとう            2014年12月31日分

 2014年も本日のみ。朝、5時前に目が覚めて「そうだ、みなさんにご挨拶をしよう」と向かっています。
私のブログを見てくださっている方、たまたま見た方、ありがとうございました。遅れがちな私のブログを読んでくださり本当にうれしいです。みなさんにつながっていたいなあと思って続けているような気がします。続けられるだけ続けてみますので、どうぞ見守ってください。

さて、2014年という年は・・・
■「全国訪問看護事業協会」の事務局長として2年目。通勤ラッシュに負けそうになりながら、制度・報酬改定・要望・研修・・・。「機能強化型訪問看護ステーション」新設、「複合型サービス」普及。
■三男の結婚式。
うれしかった! 息子の幸せそうな顔を見ているだけで、私も幸せ・・・。泣き虫だった息子が・・。素敵な家族が増えて本当にうれしい! 大歓迎。
■全国の方々に声をかけていただき視察・講演。元気に事業展開している看護師たちに励まされ、それを全国のみなさんに伝え廻った。
■借金しても行きたいくらい大好きな海外旅行
今年は、海外へは2回。カオハガン島(知る人ぞ知る!)とラオス(モン族・アカ族・ヤオ族・・・、山岳少数民族のことや仏教について考えた。主食のモチ米。それが美味)。
■釣りは、今年は3回。
長野県松原湖でわかさぎ(0匹)、駿河湾(結構釣れた。友人はビギナーズラックで大きな鯛を)、カオハガン島(竿なしで色の鮮やかな魚)。おもしろいね。

そんな年でした。政治など世の中は、寒々しいもので気持ちのどこかで無力感やあせりなどを感じていてモヤモヤ感があります。自分は何をしなければならないのか、何ができるのかと問うてみますが中々・・・。
還暦に近くなってきた自分を客観視しながら、できることをまたやりたいことに向き合っていかなければと思っています。

みなさま、2014、ありがとうございました。

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2014.12.31 Wed l 未分類 l top ▲
路上生活者の町が福祉のまち             2014年12月25日分

 前回に続いて本の紹介をしよう。
『人は必ず老いる。その時誰がケアするのか』本田徹著、角川学芸出版 2014.9.25

本田徹先生のこと
 本田先生のうわさは時々お聞きしていて、「すごい先生よ」「とてもいい先生よ」「山谷に係っている先生よ」などいう声であった。一度お会いしたのは、何かのシンポジウムで隣に座ったシンポジスト。どんな先生なのかな? 何がすごいのかなあ?と気にしていた。
 ある日、書評依頼があり、それがこの本で、先生自身からもメールをいただいた。そしてじっくりと読ませていただいた。私の書評は、看護系月刊誌「看護実践の科学」に掲載されている。

くすぐったい思い
 真っ先に感じたのは、「私もこういうことを考えていたように思う。それを本田先生は、志を貫いて継続して実践し、この本ではとても適した言葉で表現しているなあ」ということだった。別な言い方をすると、「自分の中の奥深いところの原点をくすぐられる本」。どうして看護学校に入学したのか、どうして下町の小さな病院に就職したのか、思い起こしてみると、「社会的弱者と呼ばれる人の側に立って」考え続けたいし、何か役立つことを実践したいという思いが大きかった。永遠の課題のように見えた「路上生活者」も視野にはあったが、もう少し普遍的な課題である『老人問題』や誰もやっていない『訪問看護』などに足を入れようとしたような気がする。
 先生の言葉の端々や実践に、自分自身を振り返り 押しつけの医療や介護になっていないか、おごった自分になっていないかなど、再度、自分の立ち位置を確認するきっかけになるような気がした。

かかわる人物像がとてもいい
 この本の読みごたえは、登場する人間像である。路上生活者、支援する団体の特徴ある人々、訪問看護師、そして本田先生自身の人物像が正直に描写されている。それぞれのみなさんの生き様が心に残る。特に路上生活者になった方々が、特別な人ではなく、ちょっと人とのコミュニケーションが苦手であるとかタイミングの悪さ・病気などで誰でもがなりうることを示している。どの人も気負わずに真正面に向かい合っているようすがすがすがしい。

孤族」が「ゆるいつながり族」に
 「孤族とは、世間や身内とのつながりが切れて、ただ一人で暮らす人のこと。今、孤族になった独居老人がいざという時、誰に助けを求めるか、誰にケアをしてもらえるのかという不安に直面している」という。山谷だけでなく、日本中どこにいても「孤族」になってしまい同様の不安を持っている。
 お金持ちでも、栄誉ある賢人でも「孤族」、つまり物理的にも精神的も「孤独」との付き合いが待っており、これからの社会の大きな課題だろう。
 山谷の地域が、「孤族」⇒「ゆるいつながり族」になっているという。というよりは、みんなの力でそうしてきたということだろう。

山谷という町
数年前、20数年ぶりにこの街を訪れた。この本に出てくる訪問看護ステーションコスモスを訪ねてのことだった。山谷がどんなふうに変化したのか興味津々だった。確かに路上で生活している人がいたしそれもかなり高齢化しているのが分かった。だけど、案内してくれる訪問看護師さんに連れられてその方がたに声をかけ、簡易宿泊所に宿泊している方々に会い、またNPO法人のサポート団体の方や事務所を訪れてみて何だかあったかいものを感じた。殺伐とした最底辺の人たちという印象ではなかった。サポートを受ける方と提供する側の境がないというのか、とてもいい距離感というのか、べったりと濃厚な人間関係ではない“いい感じ”なのである。本田先生がいうように『路上生活者の町が福祉のまち』になっているんだと思う。

“何だかほっとした”そんな思いだった。
2014.12.26 Fri l 看護、介護、医療関連 l top ▲

ナイチンゲールの市街戦                 2014年12月15日分

 訪問看護のことがマンガになった。業界ではなく、一般向け出版物としてマンガで登場。『ナイチンゲールの市街戦』第1巻。<訪問看護師の奮闘を描く新医療ドラマ>(鈴木洋史原作、東裏友希作画/小学館)さて、どのような姿で登場したのでしょう。

「ナイチンゲールになりたいんです」
主人公は、宮間美守(25歳)。病棟勤務を3年経た看護師。研修期間でもドヂばかりで先輩ナースからも呆れかえられる。美守がなぜ訪問看護師になりたかったかといえば「ナイチンゲールになりたいんです」と。そして、「看護の理想はね。訪問看護師は『生きる』手伝いをすること」とも。
ごみ屋敷に住む利用者、介護疲れの独身の息子さんとのかかわり、事故で寝たきりとなった若い女性、胃ろう増設するかしないか・・・。普段の訪問看護で出会う利用者さんとの関わりが描かれている。きれいごとではなく、しかしうそでも悲惨でもなく・・・。
日焼け対策をしたり、合コンに出かけたりと仕事だけではない美守の姿もありのまま。

フィールドナース
 私が、おもしろいと思ったのは、「訪問看護師」のことを『フィールドナース』と表現していること。一般的には「home nurseホームナース」「visiting nurseヴィジテイングナース」「district nurse 地区看護師」などと表現されているのに、全く違った見方でおもしろいし、いいなあと思った。
また、〝街中の家が看護の現場になり得るアウェーでの戦い・・・つまり市街戦“とも。こういう発想で訪問看護のことをとらえて、若いナースたちにも興味を持ってもらって若いうちに一度は、訪問看護の現場で働いていただきたいとつくづく思う。

訪問看護を知っていただくのにちょうどいい本
 ケアマネさんや利用者・家族、一般市民のみなさんに、訪問看護を知ってもらうのに、ちょうどいい本だと思う。新人訪問看護師、学生その他、読後も話が尽きない内容だと思う。
 誰かがいっていた、医者の『ブラックジャック』のような存在、と。

美守、ガンバレ! と声援を送りたくなる本。
2014.12.25 Thu l 未分類 l top ▲
「わ」と「な」                 2014年12月5日分

 週末は東京を離れて地方に講演に行くことが多いが、駅や空港についてタクシーに乗った時に、「ああ、違うところに来た・・・」と思うことがよくある。
先日、雪の青森空港に着いた時もそうだった。タクシーの運転手さんがにこにこと話しかけてくださった。「寒いね。雪がこんなにたくさん積もって。いつもの年より早いんだよ。お客さん、どこから来たの。へえ、東京からだったら寒いでしょ」ざっと、こんなことをいってくださったようなのだが、とにかくなまる。私も東北出身。おおまかなことはわかるが、山形弁(最上弁かな?)とはずいぶん違う。
「青森にきた! っていうきがしますね、運転手さんの言葉で」
「これでも標準語をしゃべっているつもりなんですがね。なまっていますかね・・・」
「とっても、いいですよ。続けてください」
「そうですか、それはうれしい。お客さん、普通のサラリーマンではないですね。僕の見立てでは、学校か大学の先生かな」
「ヘーイ、そんなふうに見えますか? ブー、はずれです」
「じゃあ、何かな???」
等という会話で、楽しい時間を過ごすんです。

津軽弁
「ところで、運転手さんのなまりは、何弁なんですか」
「津軽弁ですよ」
「そうですか。アジがあっていいですね」
「ここらは、とにかく少ない言葉で最大限の表現をするんですよ」
「たとえば?」
「わとなもんぐべさ」
「???」
「ははは。『わ』は私・自分、『な』はあなたということ。『んぐ』は『行く』ということで、『べ・さ』がつくと『行こうよ』という具合。
「私は山形で同じ東北だけど、ずいぶん違うところがあるね。『わ』と『な』は違うわ。『オレ』『オラ』と『おまえ』かな」

その土地・地域にあった豊かな表現
文字にすると味気ないけど、その単語と単語の間の書けない言葉・「ま」や、「い」と「え」中間の発音など実に豊かである。山形のなまりもそうだが、「家」のことは、「い」と「え」の中間の一語。アルファベットで書けば、「YJE」かな?
 「方言を若者があまり使わなくなっている」とか「若者がほとんどしゃべることができなくなっている」などということを聞く。もったいないなあとつくづく思う。その土地その土地にいって方言を聞くたびに思うが、方言が豊かである。

2014.12.11 Thu l 日々の出来事 l top ▲

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「わ」と「な」                 2014年12月5日分

 週末は東京を離れて地方に講演に行くことが多いが、駅や空港についてタクシーに乗った時に、「ああ、違うところに来た・・・」と思うことがよくある。
先日、雪の青森空港に着いた時もそうだった。タクシーの運転手さんがにこにこと話しかけてくださった。「寒いね。雪がこんなにたくさん積もって。いつもの年より早いんだよ。お客さん、どこから来たの。へえ、東京からだったら寒いでしょ」ざっと、こんなことをいってくださったようなのだが、とにかくなまる。私も東北出身。おおまかなことはわかるが、山形弁(最上弁かな?)とはずいぶん違う。
「青森にきた! っていうきがしますね、運転手さんの言葉で」
「これでも標準語をしゃべっているつもりなんですがね。なまっていますかね・・・」
「とっても、いいですよ。続けてください」
「そうですか、それはうれしい。お客さん、普通のサラリーマンではないですね。僕の見立てでは、学校か大学の先生かな」
「ヘーイ、そんなふうに見えますか? ブー、はずれです」
「じゃあ、何かな???」
等という会話で、楽しい時間を過ごすんです。

津軽弁
「ところで、運転手さんのなまりは、何弁なんですか」
「津軽弁ですよ」
「そうですか。アジがあっていいですね」
「ここらは、とにかく少ない言葉で最大限の表現をするんですよ」
「たとえば?」
「わとなもんぐべさ」
「???」
「ははは。『わ』は私・自分、『な』はあなたということ。『んぐ』は『行く』ということで、『べ・さ』がつくと『行こうよ』という具合。
「私は山形で同じ東北だけど、ずいぶん違うところがあるね。『わ』と『な』は違うわ。『オレ』『オラ』と『おまえ』かな」

その土地・地域にあった豊かな表現
文字にすると味気ないけど、その単語と単語の間の書けない言葉・「ま」や、「い」と「え」中間の発音など実に豊かである。山形のなまりもそうだが、「家」のことは、「い」と「え」の中間の一語。アルファベットで書けば、「YJE」かな?
 「方言を若者があまり使わなくなっている」とか「若者がほとんどしゃべることができなくなっている」などということを聞く。もったいないなあとつくづく思う。その土地その土地にいって方言を聞くたびに思うが、方言が豊かである。

2014.12.11 Thu l 未分類 l top ▲
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