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初秋のうつ             2014年8月25日分

このところ、何となく心も体も調子がよくない。疲れるし早起きできなくてぐずぐずしてしまう。前向きに考えられず、講演などいろいろな依頼があっても躊躇してしまう。
「どうしたのかな」「トシかな」などと思っていたが、ふと気が付いた。そうだ8月末なのだ。8月末から9月上旬にかけて、私“初秋のうつ”になることがあったのだった。その年によって重症度が違い、ほとんど自覚することなく過ぎる年もあれば、本当に落ち込む年もあったんだった。

『春の病気』『秋の病気』
 いつごろからだろうか・・・。思い返してみれば20年以上前から。私の周囲の人たちは、「また、春の病気ですか」「年中行事の秋の病気ですか」といつもいっていた。そう、春の芽吹きの時期もうつになるんだった。
 そういう時に私は、どう対処してきたかしら? 思い出してみるといろいろやってきた。一つは、「この人に会って雑談しているだけで、何だかわからないけれど元気になる」という人が何人かいる。めったに会わないそういう人に会うようにしてきた。
対処法のもう一つは、新しいなにかを始めること。長続きしないのだけれど何か『新たな動き』を始めること。スポーツクラブやスイミングや散歩・・・体を動かすことが多いかな。
そうしているうちにいつしか元気になっていることが多い。

今年は大丈夫
人それぞれに自分の調子のいい基本線があるのだろう。私はそれがかなり高いのだと思う。気持ちを高ぶってジャンジャン動く方が自分では心地いい。別な言い方をすると、「躁状態」に近い方が心地いい線なのだと思う。それがちょっと下がると落ち着かない・・・。
 まあ、いろいろあるけれど、体調不良の原因がわかって安心した。そのうち自然に治るのであまり慌てず、こういう時期は個人的に大事なことは判断・決定をせずに保留にしよう。というか、こういう時期だということを頭に入れて対処しよう。対処方法も少しはうまくなってきたし、今年は比較的軽症なので大丈夫。ご心配なく。時々は病気のせいだとしてみなさんに甘えさせていただくかもしれないけど。
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2014.08.31 Sun l 日々の出来事 l top ▲
大学で講義             2014年8月15日分

看護大学で講義することはときどきあるのですが、今回は名門私立大学の商学部の学生に講義をする機会がありました。オムニバス講義ということで、全く関係ない分野で「高齢者介護」に関する講義を入れてくれたようです。私のテーマは、2コマで二つ。
「地域で支える認知症の人の生きること支援」
「超高齢社会の“介護”ではない“介護”の実践とあり方」

表現しない・・・ 
 若くて自分にはほとんど関係ないと思う「介護・看護」という地味なこの講義を聞きに来てくれるのですから、まずはうれしいです。認知症の歴史の話で手足を縛られていた時代の写真やら雑魚浴(男女一緒に入浴させられている場面)の写真やらをもとにしながら、現在の日本での状況について話し、いっしょに関に考えられたらと思いました。また、がん末期の方への訪問看護や、身体障害で引きこもり状態になっている高齢者に働くかけをしたら前向きでいい顔で長生きできた話など実例でお話しさせていただきました。
 さて、学生の反応は? 食い入るように聞いてくれる学生、うなずきながら聞く学生もいてほっとしました。居眠りをしている学生はほとんどいなくそれはよかった。しかし、下を見ている学生が多いんです。配布資料には写真は載せていないので、「さあ、この方のお話をしますので、写真を見てください」といっても、なかなか視線を上げないのです。見ていないのか、聞いていないのかというとどうでもないようなのです。ちらっ、ちらっと見てるような・・・。
 どうしてなのだろう? 私の講義が下手なのだろうか? 
 興味がないならないでいい。おもしろいのか、つまらないから寝るのか、もう少し表現してくれるとわかりやすいなあ。

レポートはすばらしい
 レポートを採点(評価)するというところまでが仕事だったので、読ませていただきました。すばらしいレポートばかり。「ええっ、ちゃんと聞いてくれていたのね」「こんなにきちんと考えて下さったんだ」「さすが感性がいいなあ」だったら、そういう表情を見たかったなあ。
 レポートの主な内容は、「自分の身内に認知症の人がいて、そのことと今回の講義を結び付けて論じた人」、「認知症になった人を誤解していた。気が付かないうちに別人間ととらえてしまっていたようだ。世の中にはそういう人が多いと思う。大きな宿題をもらった」「何でもやってあげるやり方ではだめだということがわかった。よくよく考えればそうだと思う」「介護では医療では治せないものを治せる力があるということに驚いた」などなど、私の講義を自分なりに受け止めて、そして素直に言葉で表現してくれていると思った。一部、ネットから情報を取り入れてつなげたようなレポートもあったが、総じて熱心に向き合って考えてくれたようだった。

勉強になった
 いつも講演は、私の講演を聞きたくてわざわざ集まってくれる人なので熱心に聞いてくださる方が多い。しかし大学の講義はある程度“受けなければならない”という受け身なので、その反応にいつも戸惑う。「何だかよくわからないが、熱を入れて一生けん命にしゃべるおばさん看護師」て思われたのかなあ・・・。まあ、仕方ないか・・・。

2014.08.29 Fri l 日々の出来事 l top ▲
新卒訪問ナース             2014年8月5日分

 私は、この間ずっと「看護師は、20代で数年訪問看護の経験をしよう」といってきた。「医療モデル」の病棟看護だけなく、在宅での「生活モデル」での訪問看護の経験が、看護師人生にとって必ず役立つし、看護界にとっても大きく飛躍できることになると思っているからである。
 しかし、「新卒看護師」つまり、卒業してすぐに訪問看護の現場に来ることについては、「ぜひ、その方向がいい」とはいってこなかった。長い期間は必要ないが短期間でも病棟経験が必要なのではないかと思っていたからだろう。

新卒ナースが訪問看護ステーションの現場に
 つい先日「第2回きらきら訪問ナースの会」が開催された。訪問看護ステーションの管理者、新卒ナース、看護教員、学生など72名の参加で、実践報告とグループワークで大変実のある会だった。
 数年前から『訪問看護の現場に新卒看護師を採用しよう。そして教育研修して立派に育て上げよう』という考えと実践が始まった。8年も前から意識的にきちんとしてプログラムでの受け入れを実施してきたのは、(株)セコムであろう。今回の実践報告で詳しく内容をお聞きしたが、試行錯誤しながら新卒訪問看護師を育てている。「病棟経験」をどう位置づけるかが大きな議論になるようである。
 ここ3~4年、新卒看護師の受け入れを行っている訪問看護ステーションは増えてきた。といってもまだまだ二ケタの事業所だが、今後は取り組みたいと計画しているところが多々あるようだ。どのようなプログラムがいいのか、それが模索中である。あと1~2年で、現場で受け入れ可能なプログラムの開発がされるであろう。(全国訪問看護事業協会でも検討中)

時代が変わってきた
 私も2年くらい前から「新卒ナースを訪問看護ステーションで受け入れて育てていこう」と現場の訪問看護師さんたちに掛け声をかけ始めている。その理由は、いくつかある。たとえば、“訪問看護をしたいといってまず病棟に就職した看護師たちがいつしか病棟から離れられなくなり(給与のことも関係するが)訪問看護に来ない”ので、一から育てよう。あるいは、もっと積極的に病棟看護を経験しないでも(しない方が)生活支援のプロとしてとても素晴らしい看護師に育成することができるのではないかなどということです。これまでは、現場は忙しくてゆとりがなくとても新卒を受け入れることは考えられませんでしたが、最近では「先行投資で受け入れていこう」看護師が社長の多角事業の会社で、「育成します」と自由裁量で取り組もうとしているところも見受けられます。
 時代が変わってきたということだと思います。

風が吹くと変化が早い
 そういえば、10数年前にオーストラリアで訪問看護師と同行訪問したのですが、その訪問看護師は30歳代半ばのイケメンの男性の訪問看護師でした。その彼は、病棟経験なしで訪問看護をずっとしているといっていました。それはオーストラリアで普通ですと。どうして病棟経験が必要なのですかとも。
 どうして病棟経験が必要だと思っているのかをよく分析し、もしそれが必要なら何のために何についての研修(経験)が必要なのかをじっくり考えていく必要があると思います。何となくではなく。

「新卒看護師を訪問看護で受け入れるなんてとんでもない」とずっと言われてきたこの業界が風穴が開きはじめました。風が吹くと変化は早いかもしれません。「新卒看護師が訪問看護ステーションに就職は当たり前よね」と。2025年に間に合うように急いでいろいろ考え準備しよう。

2014.08.28 Thu l 看護、介護、医療関連 l top ▲
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