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負けない力       3月25日分

 地震・津波・原発・・・毎日毎日身から離れない。連絡のつかなかった宮城県山元帳の友人と携帯電話がつながった。新築した家が流され、何もなくなった。家族は無事だったと。
電話での会話。
私「生きていた! よかった・・・。どうなったかと思ってね、探していたの」
友「和加ちゃん、ありがとね。心配かけたね。生きていたよ。でも近所の人や知っている人もずいぶん流されちゃった」
「どこに住んでいるの?」
「高台にある友達の家に家族中で避難させてもらっている」
「そう・・・」
「和加ちゃん、大丈夫だよ。私の家だけでなくみんなの家も流されちゃったしね。こうなったらあきれて、開き直って、笑ってがんばらないとね。私、これから避難所にいってボランテイアをやるのよ。やることいっぱいあるのよ。なにかあったらまた連絡するよ」と。
 その声にハリがあり、勢いがあり、何だか圧倒されてしまった。何だか“被災者という哀れんだ目で見ないで”とでもいっているようにも聞こえた。

仕事開始したよ
 岩手県内に3か所の訪問看護ステーションを開設している友人との3月29日の会話。
「どうしてる?」
「ああ、宮崎さん、宮崎さんの電話の声だけで元気になります! 3ヶ所の事業所は、全部津波にさらわれてなくなってしまったですよ。でも、すぐに仮の事務所を借りて訪問看護を続けているよ。まずは利用者さんの安否確認。利用者さん本人やご家族が行方不明の方もいる。職員は海岸の家を訪問していたけれど、なんとか全員無事だった。でも自分の家が流され、避難所に寝泊りしながら仕事を続けている職員もいる」
「ガソリンもなくってたいへんだったんでしょう」
「そうなんだよ。でも少しOKになってきた。とにかく、今はどうしても看護師が訪問しなければならない人から優先的に訪問している。訪問診療の主治医とも情報交換して分担して何とかがんばっている」
「人手はたりなくないの? 訪問看護のプロたちの応援部隊を送るよ」
「ありがとう。でも車やらガソリンやら地理やらそれを準備するだけもたいへん。今のところ、何とかやっている」
「そう。全国の訪問看護師たちが応援したいと思って控えているので言ってね」
「OK。その時にはお願いする。それよりも自分たちは、行政のサポートをしようといろいろ動いているんだよ。全国からのボランテイアを受けて采配するための情報収集や段取りが間に合わないので、それを手伝ったりしている。あの避難所にいってこういうことをしてくださいとか、自宅難民になっている人たちを把握して支援物資を運んでくださいとかね。」
「そんなゆとりあるの?」
「みんなの力で何とかやっているよ。隣町にも支援しにいこうと連絡したんだけれど、ボランテイアの受け入れの準備ができていないからと支援できない地域もある。みんなパニックで、疲労がたまっていてね・・・。県内の被災していない訪問看護ステーションからの支援の声もあるよ」
「物品などの不足はないの」
「衛生材料などの資も大丈夫。全国からの支援があるので何とかなっている」
「そう、東京にいて何もできなくてごめんなさいね。厚生労働省へお願いすることや制度のさまざまな運用などについては、直接的に伝えるから教えてね。全国の団体としてできることをやるからね」
「ありがとう」
「3ヶ所の事業所の再建にお金がかかるね。それは当てがあるの?」
「現在3つの銀行とかかわりを持っているんだけど、その内の一銀行がいくらでも融資するといってくれているので何とかなると思う。困ったら連絡しますね」
 落ち着いて対応している友人、自分の事業所だけでなく地域全体の中の看護職の役割を実施している友人・・・。すごいです。

たくましい力
 支援したいと思いつつ、何もできずに悶々としている人もたくさんいらっしゃるでしょう。私もその1人です。できることは限られています。
 被災した当事者が単に気の毒な支援を受ける立場の人間ということではなく、自然災害を受けた身ではありながら、“たくましい人間”“切り抜ける力がある人間”として、同じ目線・同じような境遇を共有しながら、共に生き抜くこということが大事なのかなと思った数日です。

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2011.03.30 Wed l 日々の出来事 l top ▲