上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top ▲
マジック      2月25日分

 周囲の人にあまり話をしていないことに、『マジック』のことがあります。私がマジックを教わっているのです。私の先生は、ケン・ダニエル氏。といっても北海道生まれの生粋の日本人。ケン先生が、私のブログをいつも読んでくださっているようで、「宮崎さん、たまにはマジックのことも・・・」とおっしゃったので、では本日・・・。

タネを知りたい
 私は小さい頃からずっとマジックに大変興味を持っていました。どうしてあるモノがなくなり、無いモノがでてくるのか・・・。どうして??? 「タネも仕掛けもありません」というが、タネがあることはもちろんわかっている。“できればいつかあのタネを知りたいものだ”“ちょっとでいいから、いつか自分もやってみたいものだなあ”などと、いつもながらの欲張りな私は『いつか』を楽しみにしていたのでした。
 その『いつか』が思いかけずやって来たのです。ひょんなことでケン先生のマジックを間近に見る機会があったのですが、すかさず近寄っていき、「私、いつか習いたいと思っているんです。可能ですか」とお聞きしたんです。そしたら「明日からでもいいですよ」とおっしゃっていただき、まだ心も時間も準備できていないのでどうしようかと思ったのですが、いつ暇になるかわからないのでボツボツでもやってみようかとはじめたのです。しかし、決して器用ではなく、記憶力も減退し・・・ 大丈夫かなあ・・・

「マジックは認知症の人の支援(ケア・介護)に共通する!!」
 おもしろいんです!! 不思議だったことが「そうだったのか・・・」「ええっ、そうなの?」といつも使わない脳を刺激しまくっています。
 その中で私なりにわかったことがいくつかあります。その一つは、マジックは、実は認知症の人の支援(ケア・介護)に共通するんです。何がっていわれてもね・・・。マジックには、守らなければならない約束事がありまして、ここで皆様にお伝えしにくいのです。キーワードをいえば、『思い込み』です。そのうち、『マジックと認知症の人の支援』という講演がしたくなるかもしれません。
 これまで比較的大人数の前でマックショーを行ったのは(おあそび程度ですが)2回。拍手喝采でうれしかったです。
新たなことに挑戦することって何と素敵なんでしょう。欲張りすぎはいけないと自覚していますのでほどほどにしますが、面白いものは面白いんです。1回1回が豊かな時間です。

ぜひに
 「自分もかじってみたい」とか、「自分の職場の宴会で披露してほしい」「高齢者施設のイベントでぜひやって欲しい」「でも高いんじゃないの?」などと思っている方、一度相談してみてください。商社マンだったケン氏。早期退職してプロとしてこの道を究めています。やさしくステキな男性です。相談だけでも、次のmeilへ。
 Mail: kendaniel.magic@docomo.ne.jp
Mail: kendanielmagic@mail.goo.ne.jp
スポンサーサイト
2010.02.28 Sun l 日々の出来事 l top ▲
セクハラ      2月15日分

  前回、『する側・される側』の話を書きましたが、『セクハラ』をする側の気持ちはどうしても理解できないのです。
先日、たぶんセクハラというものだと思うのですが、その被害者の側の当事者になりました。などと書くとわかりにくいのですが、要するに不快な言葉を浴びせられ、不快な行動の相手になりかけたのです。

この人、何ということをいうの?
 私は、飲み会の機会は少なくありません。どちらかというと多いほうでしょう。だいたいは楽しくワイワイ笑って同席のみなさんの別の面を知るとてもおもしろい時間です。時には、歌って踊って・・・大好きです。
その日も数人で楽しい会でした。ところが、酔いが回ってきたのか、ある男性が、隣に座っている女性に「オッパイを・・・ろ」「Kiss・・・れ」「・・・を・・・・ろ」といいだしたのです。驚いて席を交代したのです。私は、もうオバサン。大丈夫だろうと、隣の席になったら、同じように私に向かっていい、手まで伸びてくるのです!  「ええ! 気持ち悪い! 止めてください!」といっても、そのときは「はい」というのですが、また別な女性のところにいって同じことを・・・。

飲んだ席でのこと、どうでもいいのですが・・・
「この人は、どうして公衆の面前でそんなことをいうの? いえるの?  するの?」
「男って、そういうものなの?」
「これが普通の社会なの? 私が知らないだけ?」
「飲んだ席なんだから、なんでもOKなの?」
私は、翌日も考え込んでしまった。関係あるかどうかわからないけれど、立派な経歴のある社会的な地位のある方ですよ。
まあ、どうでもいいけれど、私はとにかく「不快だった」「気持ち悪かった」「その場が、とても雰囲気がわるくなった」「人間性を疑ってしまった」ということ。

 こういうことは、これまであまり出くわしことがなかったので、驚くやら、気持ち悪いやら・・・。
 私も飲んだ席で、周囲が不愉快になるような言動や行動をしているのだろうか・・・? と不安に思ってしまう。ただ、セクハラ・逆セクハラはしていないように思うけど・・・。


2010.02.17 Wed l 日々の出来事 l top ▲
心に突き刺さること ウイグルでのできごと  2月5日分

日本ウイグル協会からのお知らせの中に、以下のような文章がありました。光景が目に残り、心に突き刺さって私から離れないんです。

ウイグル人にとって忘れられない日が2つあります。
1997年2月5日と2009年7月5日です。
1997年2月5日に東トルキスタンのグルジャ市において不当逮捕に抗議するデモがありました。無実の罪で逮捕されたウイグル青年の釈放を要求し2月5日から1000 人ほどの民衆が参加しました。このデモ隊に対して公安警察、武装警察は過酷な弾圧を加え、多くのデモ参加者を逮捕し、一箇所に集めました。そして厳冬の最中、気温マイナス20 度の状況で彼らに対して放水し、多くのウイグル人を凍死させました。
その後も不当逮捕は続き、多くのウイグル人が拘束され亡くなっていったのです。

しかし、昨年はグルジャ事件を上回る悲惨な事件が起きてしまいました。
2009年6月26日、中国広東省でウイグル人労働者を漢人が襲撃虐殺する事件が起きました。
その事件を受けて7月5日、東トルキスタンのウルムチでも事件の解決を願いウイグル人による平和的な抗議デモが行われました。しかし無差別発砲により多くのウイグル人を射殺し、装甲車でひき殺すなど武力鎮圧でウイグル人が殺害、逮捕されました。
中国政府の発表では192人の死者となっていますが実際には数千人の犠牲者がでていると見られます。

どうして・・・人間が人間に・・・
 超高齢の方のかすかな呼吸も大事にしながらターミナルケアを行い、自分の口から食べられないくらい衰弱して死が近づいている人でも残り一日の人生を豊かに送れるように支え、どんな命も少しでも自分らしく自分が望むように生ききるように支援する仕事している。その立場・その人間観から見てみると、上記の光景はなんたることか! と率直に心が痛み、怒りがこみ上げてくる。
 この地球上で、人間が人間を大事にしようということが合意になっているのではないのか。人間が人間を残酷に殺すことが大手をふるって許される時代なのか。
 どうして人間が人間に平気でマイナス20度に放置し、放水して凍死させられるのか・・・。

「する側」と「される側」
 どうしてなのかをずっと考えているところ。その一つは、「する側」と「される側」の論理。私自身でいつも思うことがある。それは「注射」。私は採血や注射など身体に針を刺されることが大嫌いである。いつもひっくり返りそうになる。全身が緊張してある種、極限状態になる。ところが、看護師として患者さんに注射をするときには、全くといっていいほど何も感じない。平気でいくらでも針を刺すことができる。もし毎回、あの刺されるときの感触を思い出していたら、たぶん注射をすることができなくなってしまうと思う。
 この論理で、自分をされる側に身を置いて想像してみよう。いじめ・無視・暴力・・・。
これが単なる病気(あるいは病気が原因)で、理由なく「ハンセン病」というだけで、島に、一定区域内に軟禁され、「認知症だから」と手足を縛られ、鍵をかけられ「監禁」されてきた。過去のことではない。
 頭ではなく、身をもって「される側」「される場」に! 
自分は、かなりの確率で、無意識に「する側」になっている!

もっともっと深く考えよう
 上記のウイグルの問題は、たくさんの問題を含んでいる。単純ではない。「政治」「思想」・・・。わからないといわず、自分自身の生き方に、あるいは日本で今起きていることと大いに関係ある。きょうは、「する側」と「される側」のことだけ書いたが、もっともっとみなさんと考えあいたい、考えなければならないと思っている。

2010.02.10 Wed l 日々の出来事 l top ▲
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。