映画『花はどこにいった』       6月25日分

 ♪♪ Where have all the follows gone?
    Long time passing
    Where have all the follows gone?
    Long time ago  ・・・

 確か高校生のときから歌ったような気がします。『We shall overcome』などジョーン・バエズの歌をよくわからない英語で歌っていました。この歌は、『反戦歌』だと記憶していました。確かに歌詞の内容はそうです。
このタイトルの映画が、7月4日まで岩波ホールで上映されています。先日見に行ってきました。胸に突き刺す映画でした。
 この映画を作ったのは、監督の坂田雅子さんです。1948年(昭和23年)生まれの坂田さんは、学生時代に(1970年)に、ベトナム帰還兵のグレッグ・デイビスさんと出会い結婚しました。その後、グレッグさんはアメリカを捨て、世界的な報道カメラマンとして(反戦・反体制で)活躍されましたが、2003年にがんで亡くなりました。ベトナムで多量の枯葉剤をあびたことが関係しているのです。
 グレッグさんの意志をつぎながら、ベトナムに何度も渡り、枯葉剤の被害状況を淡々と報告し何かを訴えている映画です。

枯葉剤散布の被害が子孫にも・・・ 
ベトナムで散布された枯葉剤(エージェント・オレンジ)は、1970年から10年間で7200万リットル。エージェント・オレンジは、人類が発明したうちで最も毒性が強い化学物質ダイオキシンを含んでいる。ベトナムの人たちは、10年間もこれを浴び続けたのです。1970年の新聞記事の見出しに「枯葉剤散布 異常児出生に関与」と出ました。
 私もこのことは、知っていました。ベトちゃんドクちゃんという総合性双生児で生まれて日本で分離手術を受けたことなどから聞いてはいました。実際に、私の夫と長男が、1992年にたくさんの医薬品などを持参しベトナム訪問した際に、ベトちゃんたちが入院していたツーズー病院にいき会ってもきました。当時小学生だった長男が目を丸くして帰ってきたのを覚えています。
 私は、枯葉剤散布は30年前にやめているわけだから、その被害は当時だけなのだろうと思っていました。ところが、この映画を観て唖然としました。枯葉剤を浴びた人の子どもは障害がない場合でも、その子ども、つまり孫世代にその影響がでて奇形の子どもの出生があとを絶たないのだそうです!
 画面に奇形や障害を持って生まれ、そして生きている姿が多数映し出されました。胸が苦しくなる画面です・・・。頭が二つある子ども、手足がない子ども、目が大きく見開いたままの子ども、年老いた親が大きな身体の身体障害の子どもを介護する姿、ガラス瓶にホルマリン漬けになっている中絶した奇形の胎児の山・・・。

生きる力がある
 土間や手作りのベッドに寝かせられている被害者たち。1軒の家で複数人数の被害者がいる場合も少なくない。その介護の仕方があたたかいのです。抱きしめ、頬ずりし、おんぶし、その子どもたちも全身で甘え、笑顔で表現する。兄弟たちもその介護を手伝いいっしょに遊ぶ。客観的に見たら、悲惨でたいへんな状況だろうに、何だかあったかさを感じ取れるんです。そして、この被害者たちがこういうんです。
「どんな姿で生まれても、命は育てなくちゃ。生きる力があるんだから」 人がどんな人でも丸ごと受け入れて、いっしょに生きること、生きる力を守り応援すること・・・。
今の日本の殺人事件(子どもが親を、親が子どもを)をみると、複雑な気持ちになってしまいます。
 せめても願いは、「大きくなったこの息子を、起こして車椅子に乗せて外の風に当てて道を通る人を眺めさせたいが、車椅子を買うお金(50ドル)があれば・・」
誰か何とかしましょうよ。私たちは何もできないけれど、そのくらいなら何とかできるのではないでしょうか。世界中でできる小さなことがたくさんあるのだと思います。

アメリカに怒りをぶつけないベトナムの人
 また、被害者の家族が下を向いてこういうんです。
「誰のせいともいえません。戦争だったんですから」と。
私は、どうしてアメリカを怒らないの? 戦後の保障で車椅子も必要なものも保障してもらったら! と叫びたい気持ちでした。
ベトナムの人はどうして? 静かに運命を受け入れているような・・・?
どうしてなのでしょう? 宗教が関係するのでしょうか?

 それにしても、どうにも怒りがこみ上げてきてならないのです。いくら戦争でも、末代まで影響があること、劣化ウランなども気が遠くなるくらいの時間がかかっても消せない汚染、地雷だって・・・。人間として・・・。私は、私自身の思考・行動の原点はなんだろうかと時々問い直します。わからなくなるんです。しかし、こういう場面を見ると自分のエネルギーの原点に触れる気がします。 心に突き刺さる。 心が揺れ動かされる。

 それにしても、アメリカという国は、どうしてこんなにも地球を汚し、壊し、そして人間を殺し苦しめることに平気でいられるのだろうか!! 

 どこかで同じような場面に出会ったような気がしていました。そうだ! 『水俣』だ。33年前、水俣でみた光景に似ている。

 みなさんも、ぜひ鑑賞を!

スポンサーサイト
2008.06.30 Mon l 日々の出来事 l top ▲
入浴を拒否する認知症の人       6月15日分

 先日、東京・立川で三多摩の訪問看護師さんたちの研修会に講師として参加させていただきました。テーマは『在宅で暮らす認知症の人をどう支えるか』です。
 2つの事例の準備があり、グループに分かれ討論しました。それが偶然2事例とも『入浴を拒否する認知症の人への支援』についてなのです。(人も家族状況もさまざま違うのですが・・・)家族が言っても、ヘルパーが言っても、デイサービスでも、誰が誘っても入浴しないので数ヶ月入浴していない。ちょっと臭ってしまっている。本人がおっしゃる理由はそれぞれ違っていて、「友人が入浴中に亡くなったから入浴は絶対しない」など。
 さて、討論が始まりました。その方が入浴できるようにどう支援するかについて意見がどんどんでます。具体的なアイデアも考え方も多様にでます。他の利用者での成功事例の共有や「お風呂に入らなくても死なないから何年入浴していなくてもいいじゃないか」入浴不要説まで。または、『認知症になるとお風呂が嫌いになるのかしら』などという発言まで出てきます。

どうして入浴するのでしょうか
 グループホームでの支援でも、必ずといっていいほど『入浴しない人の支援のあり方』が課題になります。
認知症の人は、入浴が嫌いなのでしょうか?
 そういうことではないと思います。「入浴したくない」という表面に出てくる言葉は同じでも、その理由はその人によって全く違うのです。

 そもそもの話に戻ります。日本人はなぜ入浴するのでしょうか?
?の理由
① 地球上に約36億人の人がいます。その中で浴槽に湯をはって入るのが日常生活になっている人は、どのくらいいるのでしょうか? わかる方がいたらぜひ教えてください。そうではない民族は多いのだと思います。シャワー族はたくさんいると思いますが・・・。スウエーデンの個人のお宅に招待されたときには、その家族といっしょに、初めて会ったのに裸のつきあいで家庭サウナに入ってからデイナーでした。フィリピンの知人宅に泊めていただいたときには、シャワーもなく、水浴びでした。オーストラリアの訪問看護に同行したときには、半畳ほどのシャワールームでの朝のシャワー介助でした。・・・
② 私の若い家族は、入浴せず。シャワーのみ。浴槽に湯が張ってあるのに、入らないでずっとシャワーのお湯を出してあたっている。「お湯がもったいない」と怒ってもだめなんです。彼だけではなく、若者の間では普通のことだそうです。日本人の入浴好きの習慣は崩れつつあるのか・・・?
③ 信頼する知人の医師の発言。「入浴しなくても死ぬわけではない。僕は週一度しか入浴しない。陰部など汚れるところは朝洗面と同時に拭く。だから体をきれいにする意味での入浴はしない。患者さんに入浴しろというのはどうだろうか」という。医学的に見て入浴の意味は?  
入浴をする意味は、①体を清潔に保つこと(しかし、この目的の為なら浴槽の湯に中に入る必要はない) ②湯に入った気分・気持ちよさを味わうこと ③疲れをとること・・・・ 
私たち看護職や介護職は、“体をきれいに保つ”ということが大きな使命と考えるが、その方法を「入浴」にこだわらずに柔軟に考えなければならないのだと思う。ただ、入浴大好きな人が、さまざまな事情で「入浴しない」といってしまわざるをえない状況になってしまうのが、『認知症』なので、そこを見極めて支援したいものです。

認知症の人を専門に支援する訪問看護師さんの集まりを作る
 研修会終了後、若い訪問看護師さんたちが、「宮崎さん、いっしょに飲みに行きましょう! もっと話したいです」と誘ってくれた。予定はあったのですが、私もおしゃべりしたくて連れて行っていただいた。
「宮崎さん、要するに私たち看護師の頭の中を変えなければならないということですね」
「今までと、全く逆な見方・発想で認知症の人のことを考えてみることが大事ですね」
私「みなさん、自分がきょうの事例の人が担当看護師なら、入浴できるように支援できる?」
みんな「ええっ。私、たぶんだめです。できないと思う」「わからないなあ」「私はできるかもしれません」・・・
私「そうか・・・。どんな入浴拒否の人でも私に任せてください! といえる訪問看護師の集団を作らない? そうならないと利用者さん・家族・地域住民から求められないよね。入浴支援ができることが“プロ”ではないけれど、大事な何かがそこにあるよね。プロってなんだろう」
Aさん「そうですね。おもしろいですね。私、認知症の人の訪問看護を極めてみたいんです」
私「Aさん、あなたの訪問看護ステーションで、認知症の人をみんなで受け持つのではなく、あなたが専門となってみることは全部受け持つことは可能? 毎日、毎日認知症の人だけを訪問して支援していくのよ」
Aさん「たぶんできます。ね、所長、可能ですよね」
所長「OKですよ」
私「そう、だったらそうしてみよう。私も定期的にこさせていただいていっしょに考えていきたいわ。そしてそういう認知専門の訪問看護師さんの集まりを作って、じっくり考え、勉強しあい“技”を蓄積して、普遍化しましょう。それもこれまでの発想ではなく! どう?」
Aさんたち「ええっ、宮崎さんがうちのステーションに来てくれるんですか? うれしい! 集まりもいいですね! ぜひやりましょう!」

 おもしろかった! 厚労省の統計では、認知症の人の半数は在宅での生活。在宅での生活を支援するプロたちの力を蓄えることが大きな日本中の課題です。 医師も看護師もヘルパーもケアマネもみんな困っているし、力はまだまだです。私は、いつか認知症の人だけを対象とする「訪問看護ステーション」を作り、育ちあっていきたいと考えていますが、まず認知症の人だけを対象に実践する訪問看護師の集まりを作り、深めてみる動きが始まりそうです。
 興味のある方、どうぞ連絡ください。いっしょにやりましょう!
Mail info@miyazaki-wakako.jp  

2008.06.21 Sat l 看護、介護、医療関連 l top ▲
まさに、全身で感じる喜び!       6月5日分

 秋葉原であの悲惨な事件が起きた日に、北千住ではすばらしいイベントがありました。
 名前を出してもいいかな? 私が信頼し、大事し、何より大好きな二人が結婚し、その祝う会『二人とふたりを楽しむ会』があったのです。宇留野良太君と、金澤彩子さんです。宇留野君とは2000年からの付き合いです。息子のような年代のイケメンの彼が就職してきました。どんなヤツかわからず戸惑いながらも、「ほー、なかなか・・・。なるほど・・・ やるじゃん」と楽しみながら親の気分で楽しませていただいた人です。いいヤツなんです! 金澤彩子さんは、2003年からの付き合いで、墨田区の老人保健施設で働いていた彼女が、我が東都保健医療福祉協議会のグループの「すこやか福祉会」に就職してくださり、当初はクグループホーム福さん家に配属になりその後次々にオープンするグループホーム開設の中心的メンバーとなり活躍していただきました。いまではグループホーム部・小規模・・・などの部長(責任者)です。すばらしい感性と力を持っている方です。その二人が結婚したのです!
 私はなんだかすごくうれしくって・・・。二人の結婚を祝う会を独特な方法で行うことになりました。『門出サポーター』12人が自主的に手を上げ、企画し分担し当日を迎えたのです。参加者の60歳の職員の方がいっていました、「こういう、いわゆる実行委員会形式の結婚式は20年ぶりだよ。いいもんだなあ」ということだそうです。会費5000円で、自分たちで手作りで行う結婚を祝う会なのです。案内状も、看板も何もかもがボランテイア。料理は我がグループで病院や施設などの給食などを一手に引き受けて良心的に行ってくれている(株)リップルが担当し、参加者の年齢層などに合わせて素敵で豪華な料理を格別に安く・・・。ウエデングケーキも手作りで挑戦してくださりすばらしかった!
 出し物も、芸も、なんとも〝すごかった!“ 表現するのが難しい〝芸〟なのです!我がグループの若手の職員の『力』を感じましたね!! やはり、時代は変わるもの。若手がおもしろく展開する力があることを私は肌で感じました。その中に自分がいることをとてもうれしく思った時間でしたね。
 なんせ、始まる前の準備段階から、大盛り上がりなんです。新郎も新婦もいないのにリハーサルで本番よりも盛り上がるような勢いでみんなで準備できたんです。52歳の私もその中に入れていただき、なんだかすごくうれしかったのです。

認知症の方々が大活躍 
 この会の最も大きな特徴は、認知症の方が数十人出席してくださったことです。全体で158人の出席者ですが、その中の約30人がグループホームに入居している認知症の方々なのです。我がグループは、6グループホーム(9ユニット・81名の入居者)を運営しています。その入居者の人が、金澤彩子さんが結婚するならなんとしてもお祝いに駆けつけたいと、はせ参じてくださったのです。なんせ、司会も神父役も、乾杯、演舞、歌もグループホームに入居している方々が演じてくださったのです。
 プログラムにない出し物も、突然出現しました。それが素敵なのです。「私は今年、100歳なんだけど、うれしいじゃないですか。いいですよね・・・・。みなさんも元気で生きるんですよ! 私もまだまだ頑張るから」と、新郎新婦席におじゃまして真ん中に入って、ハイポーズと写真におさまったり・・・。ハプニングだらけ・・・。
 若い医療・福祉系の職員が多い中、認知症の方々といっしょになって結婚を祝う会をできたことが宝かなと思いました。

『この人、全身で喜んでいるんですよ!』 
 何ともいえない楽しい会が終わり、帰路についた時の話です。私は、この日出席してくださった認知症グループホームに入居している方々に一人一人あって触れ合っていました。久々の再開でした。
 その中の一人の男性がいました。元都電の運転手をしていらした男性の方です。認知症の進行のためにグループホームに入居しました。奥様は心配で心配で・・・。彼は、自分の思うようにならない状況にいらだったり、おこったり、どれだけ職員を起こったか・・・。それよりもご本人がどれだけ不安に思われたのか・・・。自分の部屋にはたくさんの本があります。社会を変えなければならない、そのためにはという本が並んでいます。ご本人の葛藤は計り知れないのですが、数年グループホームで過ごしました。怒った顔の彼、苛立った彼の顔・・・。
 その彼が、久々にあったら、車椅子でした。会が始まる前は、表情は乏しく「○○さん」・・・反応はほとんどなし。顔はこわばっていて辺りを見ていました。私は彼がきょう楽しむことができるかしら? 楽しめればいいなあ・・・! と心でおもっていました。しかし、全体を見回して私はその後、彼のことをすっかり忘れていました。
 帰り際に、彼に会ったのです。私は、目を丸くしました。彼の顔つきが素敵なんです! 「ええっ、どうしてこんなにいい顔をしていらっしゃるの?! 笑ったいい笑顔をずっと保っている!!」 いっしょに参加してくださった奥様が隣で、私にこういうのです。「宮崎さん、言葉は発せられなくても、人ってわかるのね。彼はもうしゃべって言葉で表現できなくなっているんだけどね、わかるのよ。だってね。ここにきたときにはこわばった顔をしていたのよ。それがね。みんなの腹からの笑い声、生のピアノの音楽、みんなの歌、みんなのうれしい気持ち、この雰囲気がね、彼の全身に響くのね。夫の彼が、ずっとこのいい顔のままなのよ! きょうはよかったわ、ホントに・・・」

 そうなんですねー。人間って全身で感じるんですね。その力は最後までなくならない。うまく表現できなくても〝感じる力“がスゴイ! そういう場にさまざまな機会にいっしょにいられればいいですね。

 私は、大好きな宇留野君と彩子のために、(というのは言い訳で)歌わせていただきました。いっしょに歌い、作り上げてくださったミュージイシャンの小泉たかしさん、門出サポーターのみなさん、ありがとう!!
2008.06.10 Tue l 看護、介護、医療関連 l top ▲